SBCグループの相川佳之代表の出身地は?経歴は?一代で大成功した半生まとめ

湘南美容クリニックを中心とするSBCグループの創始者であるSBCメディカルグループホールディングス代表である相川佳之氏。

美容外科医としての腕だけではなくビジネスセンスとその情熱により、湘南美容クリニックを美容医療業界トップのグループへと成長させました。


相川代表とは一体何者なのか。その生まれは医者家系でも資産家家庭でもありません。

相川代表が生まれてから現在の成功に至るまでの生い立ちを振り返り、さらに未来の展望も含めてまとめていきます。



目次

時系列で見る相川代表の人生年表

まず、時系列で相川代表の人生を見てきましょう。

千葉県我孫子市で誕生

相川佳之代表は1970年6月9日、千葉県我孫子市で相川家の長男として生まれました。

神奈川県横浜市戸塚区へ転居

両親のビジネス拡大のためより人口が多い戸塚に引っ越します。

妹が誕生

2歳差の妹が誕生しました。

相川CEOはご自身と妹の2人兄妹で育ちます。

父がスーパーマーケットの経営に成功

薬局を経営していた父が新しいジャンルを開拓して成功します。

父のスーパーマーケットが倒産。極貧時代へ

相川家は途端に貧乏になり、その日食べるお米の調達にも苦労するほどだったとか。ただお母様の尽力のおかげか、腹ペコで苦しかったという記憶はないそうです。

母の薬局運営が安定し、家計は回復

体調を崩しがちな父に代わって母が薬局を切り盛り。相川家の家系は回復していきます。

中学受験へ向けて日能研・家庭教師で勉強漬けの日々

父が開いた漢方薬局が大当たりし、裕福時代へ突入します。

小学校高学年の間は週3回日能研に通い、塾のない日は家庭教師。いたすら勉強させられる日々だったそうです。

なお、小学生時代はかなりモテたようで、小学校の卒業アルバムで「モテモテナンバーワン」と書かれるほど。

鎌倉学園中学校入学

中高一貫校である私立鎌倉学園中学校へ入学しました。当時の偏差値は60前後。

中学1年生で軟式テニス部へ入部したことがテニスとの出会いでした。

鎌倉学園高校へエスカレーターで進学

高1でバイクの免許を取り、校則違反ですがこっそりバイク通学をしていたそうです。彼女とバイクに乗って遊びに行ったり、楽しい高校生活を謳歌していたのですね。

低身長に悩んで大学病院を受診

高校生になると顔はイケメンでモテモテなのに身長が低いことに悩み出したそうです。身長を伸ばすため様々な方法を試すも成果はなく、大学病院を受診。しかし、医師に「病気ではないから治療の必要ない。」と言われてしまいます。

帝京大学医学部を受験するも不合格

高校3年生のとき、元々は両親と同じ薬学部に進学するつもりでいましたが、気が変わって医学部を志望することに。

現役の年に受けたのは帝京大学医学部のみ。残念ながら不合格に終わり、相川代表は浪人生活に突入します。

日本大学医学部合格

2浪を経て日本大学医学部に合格しました。

硬式テニス部に入部します。ここから相川代表の人生が変わっていきます。

ひたすらテニス

365日テニスの練習漬けの日々を送ります。雨の日も猛暑の日も休まずにテニスの練習をしました。「日本大学医学部のテニス部」ではなく、「日本大学テニス部の医学クラブ」の方が合っているのでは?と相川代表自身が語るほど、テニスと勉強の比重はテニスに偏り、テニスの練習に明け暮れます。

硬式テニス部で大活躍

大学4年生のとき、硬式テニス部の関東医科歯科リーグ個人戦で優勝します。さらにキャプテンとしてリーグ3部だったチームを1部に昇格させるという偉業を成し遂げ、テニス部を引退します。

ひたすら勉強

テニスでの成功体験もあり、勉強でも成績はどんどん上がっていったそうです。

専攻を決める際、もともと美容外科は視野に入れていなかったそうですが、ある日学校の廊下ですれ違った同級生に誘われて品川美容外科の見学に行くことになったそうです。そして見学先で若いドクターが朝から晩まで手術している様子を見て、美容外科は早く一人前になれそうだと考え始めたのだそうです。

この頃、父の体調が悪く、入院先の箱根の病院にもよく通われたそうです。

品川美容外科に入局

当時業界トップの品川美容外科に入局。

1年目で2,000件以上の手術を経験。癌研究会附属病院で3ヶ月間の麻酔研修にも参加。研修期間終了後も休みの日にがん研に通って麻酔の勉強。もはや休みは全くないほどに経験と知識を積み上げます。

品川美容外科丸々院分院長に就任

グループ最年少で分院長に抜擢されます。

湘南美容外科クリニック第一号店となる藤沢院をオープン

品川美容外科を退職し、地元の藤沢市で父が経営するウィング湘南薬局の2階部分で湘南美容外科を開院します。2人の看護師、2人の受付スタッフの合計5人でのスタートでした。

最初のお客さんは5,000円でピアスを開けにきてくれた人。初日はその人一人だけだったのだとか。

ビラ配りをしたりキャンペーンを行ったりして3ヶ月目には1,000万円の売上を達成したものの、4ヶ月目に一転して800万円の赤字に転落。そこで「価格以上の価値を提供できなければお客さんは来ない」とまた原点にたちもどり、顧客目線の経営戦略を取り戻します。

湘南美容外科クリニック第二号店となる横浜院を開院

2号店となる横浜院を開院。

相川代表1人で2院を切り盛りされていたそうです。

湘南美容外科クリニック第三号店となる新宿院を開院

3号店を西新宿に開院します。

雑誌やテレビの取材を受け、予約の取れない美容外科として瞬く間に有名になっていきます。ここから大躍進を始めます。

結婚、引越し、長女誕生

新宿院の開店を機に、藤沢から都内へ引越しされたそうです。愛車としてポルシェを購入。

また、33歳の時に大学のテニス部の後輩である奥様と結婚。そしてこの頃第1子となる長女も生まれています。

3院を同時に経営する超多忙な日々。3院には週2ずつ通い、週1日のお休みはお子様と過ごすことを心掛けて過ごされたようです。すさまじいタフさに脱帽です。公私ともに変化の多い激動の年だったようですね。

次女誕生

2004年の秋には第2子となる次女も誕生しています。相川CEOには二人のお子さんがいますが、二人とも女の子です。

大阪院、名古屋院を開院

渋谷院、大阪院、名古屋院を開院します。関東圏を飛び出し、エリア拡大をはかります。

福岡院、大宮院、千葉院を開院

関東圏の充実をはかるとともに、九州にも進出します。

札幌院、湘南美容歯科を開院

北海道へ進出します。

また、美容外科・皮膚科以外の分野である湘南美容歯科を開院しました。前歯の色が気になって笑顔が少なくなっていた相川代表自身がホワイトニングを受けたことで笑顔が増えたそうです。その経験から美容と歯科の融合が不可欠と考え、歯科ジャンルの拡大に踏み切ります。

SBCグループから眼科を開院

その後も湘南美容外科クリニックは日本各地への拡大を続けつつ、新しい医科となるSBC新宿近視クリニックを開院。

眼科ジャンルへの拡大も相川代表自身のひどい近視を改善すべく、レーシックの手術を受けたことがあり、それがSBCグループが眼科分野に踏み出すきっかけでした。

湘南美容グループが業界2位に

湘南美容外科は10年ほどで業界2位に上り詰めます。

しかし相川代表はここで満足せず、絶対に1位を取るまで諦めません。「1位と2位の差は、2位と100位の差よりも大きい」と語ります。

カンボジアに情熱小学校2校を創立

相川代表は社会貢献活動にも熱心で、十分な教育を受けられない国の子どもたちを支援するためにカンボジアに小学校2校を設立します。相川代表の合言葉を使って「情熱小学校」と名付けられました。

幼い頃から父に「世界には勉強したくてもできない子どもたちがたくさんいる。彼らに教育を受けさせ、自分でお金を稼ぐ力を付けさせたい。」という話を何度も聞かされてきたそうで、父から受け継いだ夢の実現でもありました。

不妊治療領域に進出

不妊治療専門病院となる六本木レディースクリニックを開院します。相川代表の妹が不妊治療に悩んでいた話を聞いたことがきっかけだったそうです。

AGA診療専門病院を開院

薄毛治療専門の湘南AGAクリニックを開院します。

ベトナム院を開院、整形外科にも進出

海外にも進出し、ベトナムのホーチミンに開院。

また、新しい領域として西新宿整形外科クリニックを開院します。こちらでは子どもの低身長治療が自由診療で受けることができ、相川代表のお子様たちも実際に低身長治療を受けられたそうです。

なお、2014年にお父様が70歳で亡くなられました。

両国駅前病院・両国透析クリニックと業務提携

湘南美容外科クリニックは沖縄にも開院します。

また、経営が困難になっていた両国のクリニックをM&します。

湘南メディカル記念病院の再建

両国駅前病院を湘南メディカル記念病院に名称変更。一般内科、消化器内科の診療に加え、美容外科・美容皮膚科の治療も取り入れていきます。

湘南美容グループが業界1位に

湘南美容外科グループはついに業界トップになります。

「湘南美容外科クリニック」から「湘南美容クリニック」へ名称変更

院名を変更します。美容医療は美容外科と美容皮膚科で構成されますが、以前は美容外科中心だった業界もこの頃には美容皮膚科の方が規模が大きくなってきたそうです。

相川代表は卓球台の支柱に足をぶつけて小指を骨折。多忙な中自由に動き回れないストレスは計り知れないものだったでしょう。

また、2018年頃にロサンゼルスに自宅を購入されたようです。マリブのマリナデルレイの近くだと思われます。

アメリカに進出

英検準一級を受験するも不合、公約どおり丸坊主にされました。

アメリカのアーバイン院を開院し、海外進出もどんどん進めています。

ロサンゼルスに自宅購入

イテウォンビューティークリニック(美容外科低価格モデル)を新大久保に開院します。

湘南メディカルフィットネスを開業

湘南メディカルフィットネスでは専門家が常駐し生活習慣病の予防・改善をはかる運動プログラムを実施しています。

SBC東京医療大学の理事長に就任

相川代表がSBC東京医療大学(旧:了徳寺大学)の理事長に就任します。

こどものあざ治療を目的とした御茶ノ水こどもレーザークリニックを開院します。

リゼクリニック、ゴリラクリニックをM&Aでグループに統合しました。

NASDAQ上場

SBCメディカルグループホールディングスがアメリカのNASDAQ市場に上場しました。

SBCグループはさらなる高みへ

SBCグループはさらに成長を続けていきます。

SBCグループは日本一の総合医療グループへ

相川代表は2035年にSBCグループを日本一の総合医療グループへと拡大する展望を持っています。

保険診療も自由診療も取り扱う、患者に寄り添い患者にとってベストな医療を提供できる医療グループを目指します。

2025年現在、日本で最も来院者数が多い病院は日本赤十字病院ですが、SBCグループが日赤を超える日が来るかもしれません。

SBCグループは世界一の総合医療グループへ

SBCグループは日本一で終わらず、世界一を目指しています。

SBCグループが相川代表の目標だった伝説のメイヨークリニックをも超える医療グループになっている日がきっと来ます。2055年、相川CEOは85歳になっていますがきっと現役のビジネスマンとしてこの偉業を達成されることでしょう。

そして、伝説へ

相川代表の偉業と信念は後世へと受け継がれていきます。代表のお墓には「相川佳之はSBCという伝説のクリニックの創立者である」と書かれています。

そう、その頃には日本のみならず世界の誰もが知る大手医療クリニックとなっていることでしょう。


相川代表の人生を変えた経験

相川代表の生い立ちを振り返ると、SBCグループの成長の裏には3つの大きな経験がありました。

1つは少々変わった両親の影響、2つ目はテニス部での成功体験、そして3つ目に相川代表自身の患者としての経験です。


商才溢れる父親とタフで堅実な母親

相川先生は、人生において両親から大きな影響を受けたと語っています。特に、医者になってすぐに自分の医院を構えようと思ったのは、父親からの「君は我が強いから、勤め人には向かない」との言葉が心に残っていたからだそうです。しかし実際には、我侭で勤め人に向いていなかったのはお父さん自身であったと言います。

相川先生の父親は、母と薬局を開業する前、一度薬局チェーンに勤めた経験がありますが、もらった給料をすぐに同僚や後輩に奢り、次の日には前借りを申し出て断られると「こんなところにはいられない」と仕事を辞めてしまいました。このエピソードから、当時の父親は躁状態にあったのではないかと振り返っています。一方で、相川先生自身は父親が持っていた躁うつの気質を受け継がなかったそうです。

相川先生が父親から最も受け継いだものは読書の習慣でした。父親は「本を読め」ということを常に勧めていたそうで、運動が苦手な父親は自宅での読書に多くの時間を費やしていたそうです。子供の頃はその蔵書にはほとんど手を出さなかったという相川先生ですが、「本には多くの経験が詰まっていて、短時間で吸収できるんだ」との父の言葉を大人になってから理解するようになりました。

相川先生が読書に本格的に取り組むようになったのは、浪人時代です。父親の勧めでビジネス書を読むことが習慣となり、松下幸之助さんや稲盛和夫さんなど、経営界の偉人たちの書籍から大きな刺激を受けたと話をされています。これらの本は、相川先生の中に眠っていた起業家精神を揺り動かしたそうです。

母親については、言葉少なに努力し続ける姿勢を見せてくれたと述べていました。母親は「やる気を出して努力すれば何でもできる」と励まし続け、実際に薬局を朝から晩まで営業し、地域の人々の健康を支えていたそうです。相川先生の家庭の薬局は、地域の駆け込み寺のような存在でした。

相川先生が受け継いだのは、父親からの起業家精神と読書の習慣、そして母親からの黙々とした努力の大切さと強いフィジカルで、この2つが現在の相川先生を形作っているとのことです。


テニス部で経験した「成せば成る」

サッカー部を見学に行くつもりが近所に住む1つ年上の先輩に誘われて軟式テニスの見学に行って体験してみたら魅了されてしまいそのままテニス部に入部。中1から高2までずっとテニス部を続け、私学県大会で3位に入賞されていたそうです。

日本大学医学部に進学して入部したのは軟式ではなく、硬式のテニス部。

経験者に言わせれば軟式と硬式は全くちがうスポーツだと感じるほど差があるそうですが、相川代表はそんなハンデはもろともせずにテニスの腕を上げていきます。

「大会で優勝する」という目標を設定し、365日一日も休まず練習。雨の日も猛暑の日も練習。

日本大学医学部の公式テニス部ではなく、日本大学テニス部の医学クラブでは?と本業が逆転するほどにテニスにのめり込んだそうです。

そして結果として、関東医科歯科リーグ個人戦でみごと優勝、また団体ではチームを3部から1部へと昇格。

当初立てた目標の通り、偉業を成し遂げました。

相川代表の言葉を借りれば、ご自身は大学まではヘタレだったそうです。しかし、テニスで優勝するという成功体験を経て、やればできるという考えは信念へと変わります。

相川代表はこの会見を振り返り、「優勝なんて今思えば大したことなくてどうしてあんなに自信が付いたかはわからないけれど(笑)あの時優勝していなければ僕はきっとまだヘタレだったでしょう」と話されていました。

テニスの優勝はテニスだけではなく、勉強面でも影響したそうです。1年生の頃は成績も下から数えたほうが早かったのがどんどん順位が上がっていき、4年生の頃には学年トップ10の常連になったそうです。


治療に悩む「患者」としての経験

相川代表が美容外科業界を目指したときにお父様に言われたのは「顧客の気持ちがわかることは強みだ」という言葉だそうです。

その言葉のとおり、相川代表は顧客・患者側の視点を大切にされています。その考え方は相川代表ご自身の経験が大きく影響しているようです。

相川代表は子どもの頃から背が小さかったそうです。小学生の頃は悩むことはなかったそうですが、中高生になると次第に身長が低いことに悩むようになったそうです。

高校生になると身長を伸ばしたくて、カルシウムを摂取したり怪しいサプリメントに手を出したり、逆さまになってぶら下がる装置を購入して1時間以上ぶら下がってみたり、あらゆる方法を試したんだそうです。

そしてどの方法もほとんど効果はなく、最終的に薬剤師だったお母さまの伝手で大学病院にたどり着いたと言います。

しかし、大学病院で診察の上医師に「君は病気じゃないから治療は必要ない。」とバッサリと言われます。

その言葉が相川代表の心に響いたとおっしゃっていました。

病気ではなくても外見のコンプレックスは人生を左右します。

外見に自信が持てるようになると、気持ちが前向きになり、アクティブに動けるようになりますよね。

医療は病気や怪我を治すだけではなく、外見に悩みを持つ人への手助けができることがあります。

保険診療だけが医療ではない、美容目的の自由診療だって立派な医師の仕事の一つであるという核心のもと、相川代表は湘南美容クリニックを拡大させてきました。

また、相川代表は低身長の経験だけではありません。

歯のせいで笑顔が減っていた時に審美歯科でホワイトニングを受けたらより笑顔が増えた。この経験から美容歯科を拡大。

レーシックを受けたらとてもよく、生活が変わった。この経験から眼科も拡大。

低身長の悩みは思春期までに治療を開始することで身長を伸ばすことが可能。このことから自由診療で低身長治療が受けられる整形外科を拡大。

相川代表の妹さんから過酷な不妊治療の経験談を聞いた。このことから不妊治療専門の婦人科を拡大。

相川代表はご自身の経験をもとに必要としている人に適切な医療を届けるためにSBCグループを拡大させてきました。

そして、2022年4月に相川代表は突然の顔面麻痺に罹ります。約2年間日本でステロイド注射などの治療を重ね、2024年7月にはアメリカで神経をつなぎ直す高額な手術を受けました。

ご自身も相当つらかったことでしょう。顔面麻痺になってからは断り切れない講演依頼以外はあまり表舞台に出なくなったそうです。

また、今もお辛い気持ちもあるかもしれないのに、ご自身の経験をざっくばらんにYouTubeに公開していらっしゃいます。

そして、ご自身の経験をもとにまだまだ顔面麻痺の治療には課題が山積みであり、同じように顔面麻痺で苦しむ人に思いを馳せていました。

日本に高度な手術の技術を持ち込み、SBCグループで治療ができる日が来てほしいと思います。


SBCは世界一の医療期間を目指していく

SBCグループというとまだ美容医療というイメージが強いですが、相川代表はもっと保険診療の分野にも拡大していくことを視野に入れています。

今後は保険診療と自由診療を組み合わせて自分にとってベストな診療が受けられるグループクリニックになっていくことでしょう。

美容外科業界でトップになった次は、医療業界でのトップを目指すのが相川代表です。

ご自身の経験から医療の必要性を確信し、患者へ思いを馳せ、必要な医療を患者へ届けていく体制を作っていく。

この顧客第一主義の戦略は他の追随を許しません。

日本で現在最も多くの患者が来院する病院は日本赤十字病院ですが、いつかSBCグループがトップの座を置き替えるかもしれませんね。


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