湘南美容クリニックの創始者でありSBCメディカルグループホールディングスCEOの相川佳之代表。
これだけの大成功をおさめた相川代表を生み、育てたお母様ってどんな人なんだろうか?と気になりますよね。
本記事では相川佳之代表のお母様の人物像についてまとめていきます。
SBCメディカルグループ株式会社の代表:相川慶子氏は相川佳之CEOの母
相川佳之代表のお母様である相川慶子氏はSBCグループ内の1社であるSBCメディカルグループ株式会社の代表を務めていらっしゃいます。
SBCグループのコーポレートサイトにも確かにお名前が掲載されていますね。
名前は相川慶子(あいかわよしこ)さん
SBCメディカルグループホールディングスのグループ会社の代表で同じ相川という姓なのでご家族であることが推測できます。そのため相川慶子氏は奥様だと思っている方もいるようですが、奥様ではなく実のお母様です。
お母様については名前が「慶子(よしこ)」さんであることを相川佳之代表自身がご自身の著書の中で紹介しています。

「けいこ」ではなく「よしこ」と読みます。
相川佳之代表は佳之(よしゆき)で、お父様も芳樹(よしき)ですので、みなさん「よし」が付くお名前ということで共通点が多いご家族ですね!
妹さんも「よし」が付くお名前なのでしょうか?と想像してしまいますね。
1944年2月11日生まれ
相川代表のアメブロの2009年2月11日の記事にその日が65歳の誕生日であることを投稿されていますので、計算するとお母様は1944年2月11日生まれであることがわかります。
お誕生日が建国記念日なのはさすが“持ってる”感じがしますよね。
薬剤師として薬局で働く
相川佳之代表のご両親は二人とも薬剤師です。
おもな生計の手段として、夫婦お二人で薬局を切り盛りされたいたそうです。
厚生労働省のホームページ内に薬剤師資格確認検索システムがあり、そこでお名前を検索するとお母様は昭和41年(1966年)に取得されたと表示されました。

生年月日から計算すると大学には浪人せず現役で入学し、留年せずストレートで卒業。卒業と同時に薬剤師免許を取得されたのでしょう。
さすがの優秀さがうかがえます。
なお、現在薬学部は6年制ですが、当時は薬剤師になるための大学の課程は4年制でした。
薬学部が6年制になったのは、2006年度の入学生(平成18年度入学者)からです。2004年(平成16年)に薬学教育の改正が行われ、それまでの4年制から6年制へ移行したためです。
二人の子供を出産
1970年、26歳の時に第1子となる長男・佳之代表を出産されています。
そして、1972年には佳之代表の妹にあたる第2子の長女も出産されています。
二人のお子さんを育てながら、お父様を支え、ご自身も薬剤師としてはたらかれてきたことでしょう。
今よりもワーママの環境が整備されていない時代に母親業も仕事も立派にこなしてこられたことを尊敬します。
SBCグループ会社の代表を務める
夫である相川芳樹氏は2014年に他界し、現在はSBCメディカルグループ株式会社の代表を務めていらっしゃいます。
年齢から考えるとまだ薬剤師として現役で働いている可能性は低いと思いますが、神奈川県内には「あいかわ一番薬局」など「相川」姓の付く薬局が今も存在していますのでひょっとすると薬局の経営も一部担っている可能性はありそうですね。
お母様である相川慶子氏の半生年表
では相川慶子氏の半生を時系列で年表にまとめていきます。
相川佳之代表の母である相川慶子氏は1944年頃に誕生します。
大学は薬学部に進学。
のちの夫となる芳樹氏(佳之代表のお父様)とは大学の同級生。当時から付き合っていた芳樹氏は体調の波が激しく、芳樹氏のサポートをしながらご自身の勉学にも励んだそうです。
無事に大学を卒業。薬剤師免許を取得します。
地元の我孫子市で夫婦で薬局を開院し、経営を始めます。
1970年6月9日、長男となる佳之代表を出産。
薬局のビジネス拡大のためより人口が多い戸塚に引っ越します。
2歳差で第2子となる長女を出産。
薬局を経営していた夫の芳樹氏が新しいジャンルを開拓して成功します。
相川家は途端に貧乏になり、その日食べるお米の調達にも苦労するほどだったとか。
体調を崩しがちな芳樹氏に代わって妻の慶子さんが薬局を切り盛り。相川家の家系は回復していきます。
芳樹氏が漢方の勉強のためたびたびに中国を訪問。
そして開業した漢方薬局が大当たりし、裕福時代へ突入します。
佳之代表が高校3年生で進路に悩む頃には、芳樹氏が経営するウィング湘南グループは神奈川県内に10店舗以上を構える大型グループへと成長していました。
この頃、夫の芳樹氏の体調が悪くなり、箱根の病院に入院することが増えました。
慶子氏が家計を支え、佳之代表の大学卒業をサポートしました。
母・慶子氏が佳之代表に与えた影響
相川佳之代表はお母様から受けた影響として以下のポイントをあげていらっしゃいました。
医学部進学へのすすめ
相川佳之代表はもともと医学部には進まず、両親のあとを継いで薬学部へ進学しようと考えていました。
しかし、お母様は当初より薬学部よりも医学部へ進学してほしいと考えていらっしゃったそうです。
薬学部に通っていたお母様は医者と結婚する予定だったそうですが、情熱に負けて今のお父様を選んだとおっしゃっていたのだそうです。お母様は「医者は万能だから」と日本における医師という資格の優位性がとても協力をあることを説いていたそうです。
最終的に医学部進学を決断をしたのは相川佳之代表ではありますが、お母様の言葉の影響は少なからずあった可能性はありそうですね。
黙々と努力を続ける精神
相川佳之代表はお母様について、言葉少なに努力し続ける姿勢を見せてくれたと述べていました。
お母様は「やる気を出して努力すれば何でもできる」と黙々と努力を続ける精神力を持っていたと語っていらっしゃいます。
体調に波があるお父様に対して、お母様は安定して努力を継続されたそうです。
相川佳之代表はそうしたお母様の姿を間近で見ていたからこそ、度量を継続することの意義を身をもって体感し、真似することができたのかもしれません。
強いフィジカル
実際にお父様が体調を崩して働けない時期はあ薬局を朝から晩まで営業し、地域の人々の健康を支えていたそうです。お母様の薬局は、地域の駆け込み寺のような存在でした。
またあ、その当時相川佳之代表と妹さんは4~6歳くらいでしょうから、子育てもまだまだ大変な時期で体力的なタフさは想像を超えています。
相川家の厳しかった家計はなんとか回復していったのはお母様の胆力あってのことだったのでしょう。
相川代表も美容外科になってからほとんど休まない生活を続けてきたそうですが、その体力があったのはお母様から受け継いだ圧倒的なタフさのおかげだと話されていました。
まとめ:相川佳之代表の母・慶子氏
相川佳之代表の母・慶子氏は主婦や母親としてだけではなく、薬剤師として経営者として活躍されてきたスーパーウーマンでした。
コツコツと努力を継続するたぐいまれな精神力、どれだけ忙しくても体調を崩さない体力の強さは相川佳之代表へ受け継がれ、その成功を支えたことでしょう。
偉大なお母様像を聞けば聞くほど、ご家族があっての今の大成功なんだと感心するばかりです。
今後も相川佳之代表そして相川慶子氏のご活躍に期待したいと思います。情熱!!
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